スコッチ・ウイスキーの知識

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歴史


生命の水


ウイスキーの語源は、アイルランド語の「ウシュク・ベーハー (''uisge beatha'') 」、「生命の水」という意味である。ラテン語では「アクア・ウィータエ (''aqua vitae'') 」である。はじめは薬として利用されていたことから、この名で呼ばれたと考えられる『スコッチ・モルト・ウィスキー』p.58。中世の錬金術研究の副産物として蒸留酒が発見されたと考えられる。1172年、ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世がアイルランドに侵攻した時に、農民達がウスケボー(ウシュク・ベーハー)を飲んでいたという記録があり、アイルランドではそれ以前にすでに蒸留酒の製造が行われていたことが分かる。この酒が、15世紀の終わりごろ、キリスト教の宣教師たちによってアイルランドからスコットランドに伝えられた。スコッチ・ウイスキーに関する現存する最も古い記録は、1494年のスコットランド財務省の記録で、「修道士ジョン・コーに8ボルのモルトを与え、アクア・ヴィテを作らせた」と記されている。当初は蒸気を常温で冷やしていたので、得られるアルコールはわずかな量だった。16世紀に入ると、蒸気の通るパイプをコイル状に巻いて表面積を増やしたり、パイプを水中冷却するなどの技術が生み出された。また、当初は樽での熟成は行われず、ホワイト・リカーに近い状態であった。樽での熟成が行われるようになったのは次の密造時代になってからである。

密造時代


1707年にスコットランドはイングランドと合併するが、実質的にはイングランド主体の併合であると受けとめるスコットランド人は多かった。スコッチ・ウイスキーの歴史は、ジャコバイト運動などスコットランド人のイングランドへの反抗の歴史と重なっている。1776年のアメリカ独立や1789年のフランス革命など、対外的な政策のために、イングランド政府はスコッチ・ウイスキーに重税をかけるようになる。ハイランドでは、これに抵抗してウイスキーの密造が横行した。密造によって、麦芽(モルト)の乾燥のための燃料に、野山に無尽蔵に埋もれているピート(泥炭)を利用し、空き樽に詰めて隠匿することなどの「苦肉の策」が、スコッチ・ウイスキー独特のピート香や熟成効果を得られることにつながった。ハイランドでは、現在でも密造時代をスコットランド人の誇りとして、記念しているところが多い。一方、ロウランドでは、地域的にポットスチル(蒸留釜)の容量を基準として税率が定められたため、蒸留釜を小さくし、蒸留回数を増やして生産性を高める方策がとられた。ロウランドの3回蒸留はこのようにして始められたが、同時に、多くの業者が粗製濫造に走って酒質が低下したことで衰退し、グレーン・ウイスキーに取って代わられる原因となった。1822年、イギリス王ジョージ4世 (イギリス王)|ジョージ4世がスコットランドを訪れ、エディンバラの外港レイスに浮かべたヨットの上で、スコットランド人の文豪ウォルター・スコットと密造ウィスキーを酌み交わし、その味を愛でたことが融和策のきっかけとなり、2年後の1824年に酒税が大幅に引き下げられ、グレンリヴェットが初の政府公認醸造所となったことで、密造時代は終わりを告げる。

グレーン・ウイスキーとブレンデッド・ウイスキーの誕生


1830年ごろ、アイルランドの収税官、イーニアス・コフィーが連続式蒸留機(コフィー・スチルまたはパテント・スチル)を発明、グレーン・ウイスキーが生み出される。1840年にはスコットランドでもコフィー・スチルによる操業が開始された。しかしコフィー・スチルはパテント・スチルと別名で呼ばれるように特許で守られた高価な機械であったため、これを導入したのはグラスゴーやエディンバラといった都市部に近く大きな資本と市場を持つロウランド地区の蒸溜所であった。コフィー・スチルで蒸溜を行うと麦芽の持つフレーバーが大きく損なわれるため、大麦のモルト・ウイスキーではなくトウモロコシを主原料とするグレーン・ウイスキーがその製品となった。グレーン・ウイスキーは、生産性の面でモルト・ウイスキーを上回り、穀物法の改正にも後押しされ、ハイランドのモルトに押されがちになっていたロウランドの主力となっていく。このころからモルト・ウイスキーとグレーン・ウイスキーのブレンドが試みられるようになり、1853年、エディンバラの酒商人アンドリュー・アッシャーがブレンデッド・ウイスキーを発売すると、急速に広がった。産業革命を背景とした「イギリス帝国」の隆盛期とも重なり、加えてこのころ、フランスのワインとブランデーがフィロキセラによる虫害で壊滅的打撃を被ったことも利して、19世紀末にはブレンデッド・ウイスキーは世界中に広まった。現在、スコッチ・ウイスキーのなかでブレンデッド・ウイスキーが占める割合は、9割以上といわれる『スコッチ・モルト・ウィスキー』p.10

第二次大戦後〜現在


1960年代から1970年代にかけて、モルトスターと呼ばれる専門の麦芽製造業者が登場し、それまで蒸留所で行われていたフロア・モルティングや燻煙乾燥は、ほとんど廃された。蒸留所の象徴ともなっている、キルン(かまど室)の屋根にあるパコダ型の煙突は、現在ではウィスキー作りには使われておらず、観光客向けのレセプション・センターとなっているところが少なくない。スコッチ・ウイスキーの需要は、1980年ごろから総体的に頭打ちの状態だが、シングル・モルト・ウイスキーのみが伸びを示している。スコットランドでは、アラン島 (スコットランド)|アラン島などに新たな蒸留所が建設され、これまでになかったモルト・ウイスキーが生産され始めている。日本においても、1980年ごろから本邦メーカーがスコットランドの蒸留所を傘下におさめて紹介に努めるようになり、シングル・モルト・ウイスキーを扱うバー (酒場)|ショットバーが増えている。同時に、オールド・ボトルやレア・ボトルの収集のために、イギリスだけでなく、イタリアなどの瓶詰業者からもモルトを仕入れるなど、息の長いブームとなっている。

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