ジョニー・ウォーカーの知識
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歴史
もともとは「ウォーカーのキルマーノック・ウイスキー (Walker's Kilmarnock Whisky) 」として知られ、その銘柄は、ジョン・“ジョニー”・ウォーカーがスコットランドのエアシャー (Ayrshire) の食料品屋でウイスキーを売り始めて、それが受け継がれたものである。銘柄は有名になったが、このウイスキーが有名になったのは息子のアレグザンダー・ウォーカーと孫のアレグザンダー・ウォーカー2世によるところが大きい。ジョン・ウォーカーは1857年に亡くなったが、ウォーカー家が会社を立ち上げ、世界的に有名な銘柄に育て上げたことで彼の遺した物は確固たる物になった。「ジョン・ウォーカーはウイスキーに名前をつけたが、息子のアレクサンダーのほうが重要な人物である。1852年、キルマーノックを壊滅的な洪水が襲った年にウォーカーの在庫は大打撃をうけた。アレクサンダーが1856年に事業に加わり、狭い範囲での雑貨屋の商売をやめて、卸売業をやるべきだと父親を説得した。会社は始めの頃いろいろな蒸留酒を出していた。キンタイアー半島のキャンベルタウンウイスキーや、ヘブリディーズ諸島|インナーヘブリディーズ諸島の:en:Islay|アイレイウイスキー(これは、気の利いたスモーキーな風味)、パテントスティルかグレーンウイスキー、『グレンリヴェット』すなわち:en:SPEYSIDE|スペイサイド・ウイスキーなどである。 ウイスキーの売上はジョン・ウォーカーが売ってる頃は会社の8%の収入にすぎなかったが、アレクサンダーが息子に会社をついで去る頃にはその数字は90から95%に上がった。」(引用#References|Giles MacDonogh)アレクサンダー・ウォーカーは象徴的な四角いボトルを1870年に発表した。このボトルのもう一つの特徴といえば、ラベルである。24度の角度で張られている。1908年ジェームス・スティーブンソンが代表取締役の時、ブランドの一新が行われた。ウイスキーの名前がウォーカーのキルマーノック・ウイスキー (Walker's Kilmarnock Whiskies) からジョニー・ウォーカー・ウイスキー (Johnnie Walker Whisky) に変わった。さらにスローガン「創業1820年-今も続く、力強く!」 (Born in 1820-Still going Strong!) ができた。さらに、2007年現在も広告に使われている大またで歩く人の絵も作られた。商業デザイナーのトム・ブローン (Tom Browne) の描いた絵の人は、テールのある赤いコートを着て、シルクハットをかぶり、片めがねをつけヘシアン・ブーツを履き、ステッキを持っており、創業者ジョン・ウォーカーに似せて描かれている。ジョニーウォーカーは、日本ではジョニ黒、ジョニ赤の名前で親しまれていたが、1957年当時、ジョニ黒は1万円で売られていた。当時の1万円は大学初任給の二ヶ月分に相当する。現在のジョニ黒と比べると100倍以上していた事になる。だが、これはジョニ黒に限らず洋酒の価格は総じて高級であり、憧れであった。この1万円の価格は平行輸入が始まる1985年ぐらいまで続いていたが、その頃になると海外旅行における免税品などで普及し、多くの国民が普通に飲むようになっていた。欧米などでもウィスキーやブランディーは高級志向であった為、ビールなどはブルーカラー(肉体労働者)の飲み物と位置づけられていた。しかし英国のパブでビールが飲まれ、米国でも収入格差に関係なくビールが飲まれるようになると、逆にウィスキーの人気がなくなった。同様に日本でも、ウィスキーなどのハードリッカーの値段が安くになるにつれ洋酒に対する価値観が薄らいだようだ。ただ、最近では、グリーンラベル、ゴールドラベル、そして2万円を超えるブルーラベルまで登場し、舶来品への憧れを再現しているようだ。Hughes, John (2005). ''Still Going Strong: A History of Scotch Whisky Advertising'', Tempus Publishing Ltd., ISBN 0-7524-3174-9
ジョニー・ウォーカー・ブルー・ラベル:ジョニー・ウォーカーの究極のブレンド。すべてのボトルにシリアルナンバーがついていて、絹|シルクの裏地の箱で売っている。証明書がついている。年数は書いていないが、50年から60年熟成したウイスキーが多種類ブレンドされていると言われる。 ジョニー・ウォーカー・ブルー・ラベル200周年記念:2005年にジョニー・ウォーカー...
